2011年12月7日水曜日

NPO化に関する個人的なスタンス

小野です。前回はIGDA日本として、全体的なNPO化に関する考えやスタンスを説明しましたので、今回は個人的な考えについて、簡単に説明させていただきます。なお、この内容は全て僕個人の考えであることはお断りしておきます。また、IGDA日本に関わっていただいているすべての人に、それぞれの考えがあることと思います。いろいろコメントなどいただければ幸いです。

さて、僕はゲームというものを、大きな意味で「インターフェース」だと捉えています。インターフェースといっても、入力デバイスやGUIなどの話ではなく、ホントに大きな意味での「接点」というイメージです。

これまでゲームの開発技術は、変な言い方になりますが「娯楽の一部」と結びつくことで、テレビゲームとして成立してきました。しかし今ではそれが結びつく領域がどんどん拡大していて、シリアスゲームやゲーミフィケーションといった、新しい領域を生み出してきました。ARGなどもその一つですし、今後は映画産業などと、さらに密接に結びついていくことでしょう。

つまり、ゲームの開発技術やノウハウが、一方では古典的な「ゲーム」というエンターテインメントして存在し、もう一方では娯楽以外の様々な産業や領域と結びついて、さらに拡散していくというイメージです。そしてそのうち、シリアスゲームやゲーミフィケーション、ひいてはゲームという言葉すらも意味を失っていき、日常の生活全てが「ゲーム」と呼ばれる時代が遠からずやってくることと思います。

こんな風にゲームが何かと融合し、文字通り私たちと社会を結ぶ「インターフェース」になる。2000年くらいから、そんな風な漠然としたビジョンを抱くようになりました。ゲームUIのノウハウを実領域に応用する「ゲームニクス」などのビジョンに共感するのも、こうした理由からです。

でもって、こんな風にゲームがゲーム以外の領域と切り結び、融合して、新しい化学変化を起こすようになるためには、ゲーム開発やゲーム開発者のコミュニティもまた、他の産業や学術(=学会など)のコミュニティと、きっちり膝づめで話が出来るように、公的性や社会性を持つ必要がある。そんな風に、ここ数年で考えるようになりました。

もちろん、産業としてのまとまりであったり、受け皿としては、CESA(一般社団法人コンピュータエンターテイメント協会)がありますし、CEDECやTGSがその一翼を担っています。しかし、それよりももっと現場寄りだったり、開発者個人を対象としたコミュニティであったり、より小規模で小回りのきく受け皿があってもいいなあと思うわけです。そして、まさにこれがIGDAがこれまで担ってきた役割で、これからも変わらない部分だと思っています。

まとめると、ゲームが娯楽の一分野という狭い殻の中に収まりきらなくなりつつある今、IGDAもまた、より大きな世界と肩を並べていくうえで、より社会的な存在になる必要がある・・・。そんなイメージです。うまく意図がご理解いただけたなら幸いです。

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