2012年7月1日日曜日

SusanがCEDEC AWARDSにノミネートされました

すでにご存じの方も多いかと思いますが、CEDEC AWARDSのプログラミング・開発環境部門でIGDA Education SIG(教育専門部会)のSusan Goldさんがノミネートを受けました。「ゲーム開発者の裾野をグローバルかつボーダーレスに広げる活動」というのが、その理由です。解説文には「Global Game Jam(GGJ)」についての説明があり、GGJ立ち上げに伴う彼女の貢献を賞賛するという意味合いであることがわかります。

*Susanさんの略歴はこちら

GGJは2009年にスタートしましたが、当時は日本でほとんど知られていませんでした。それが、わずか数年で急速に成長し、ゲームに関する数々の世界記録を収録した「ギネス世界記録 ゲーマー編」の2013年度版に、世界最大のゲームジャムとして記載されるまでになりました。日本でも東京工科大学を筆頭に各地で参加会場が増え、福島ゲームジャムの開催にも大きな影響を及ぼしています。

というわけで、今回のノミネートはIGDAの一員として、日本支部でも非常に誇りに感じると共に、改めて御礼を申しあげる次第です。ぜひ当日は多くの開発者の皆様のご賛同をいただき、部門賞に輝いて欲しいと強く祈願しています。

ただ、GGJほどのプロジェクトになると、とても1人では開催がおぼつきません。そこでGGJの成り立ちについてご紹介しながら、他のメンバーの功績についても、ここで紹介しておきたいと思います。詳細についてはIGDA日本アカデミック・ブログでも解説されていますので、そちらもご参照ください。

今回のノミネートでもわかるとおり、GGJはIGDAの教育専門部会が立ち上げたイベントです。そのためコンテスト形式ではなく、人材育成面が強く打ち出された内容になっています。この時の中心メンバーとなったのがSusan Gold、Gorm Lai、そしてIan Schreiber氏の3名です。この功績で3名は2009年度のIGDA MVPボランティアに選出されています。

しかし、GGJの母体となったイベントがあります。それが2006年からデンマークで始まったノルディック・ゲーム・ジャム(NGJ)です。この運営ノウハウを抽出し、IGDAの組織力を生かして、世界規模に拡大させたイベントがGGJというわけです。ただ、当然ながらNGJの立ち上げにSusanは関係していません。また前述の通り、Susan1人でGGJを立ち上げたわけでもありません。

また教育専門部会も一朝一夕に生まれたわけではありません。もともとIGDAにはEducation Committee(教育委員会)が存在し、彼らが中心になってGDCやシーグラフで教育サミットを開催していました。その成果として2002年にIGDAカリキュラムフレームワークが策定され、2003年に最初の改定が行われました。しかし、当時はまだSusanはSIGの中心メンバーではありませんでした。

その後、教育委員会は2006年に改めて教育専門部会となり、2008年に第3回目のカリキュラムフレームワーク改定を行います。この時の部会世話人がSusanで、この功績により彼女はMVPボランティアに選出されました(本フレームワークはウェブ上で日本語訳を閲覧できます)。

つまりSusanは2006年に発足した教育専門部会で世話人を務め、2008年にカリキュラムフレームワークの改定にかかわりました。その上で2009年にGGJ立ち上げの中心メンバーとして活躍し、2度にわたってMVPを受賞しました。この2点において、彼女はCEDEC AWARDSのノミネートに、非常にふさわしい人物だと言えます。

繰り返しになりますが、カリキュラムフレームワークを発展させ、さらに世界各地のゲーム教育拠点のネットワークを活用してGGJを世界各地に展開したスーザンの功績は、非常に大きいと言えるでしょう。

一方でGGJは彼女1人の力で生まれたわけではなく、教育専門部会もまた、多くの参加者のボランティア精神によって支えられてきました。GGJも今ではIGDA本体主催のもと、GGJ委員会が運営を担当しており、教育専門部会とは切り離されています。さらに新しくLearning, Education and Games SIG(学び・教育・ゲーム専門部会)が発足し、この分野での広がりを見せています。

こうした背景事情を知った上で、彼女のノミネートについて接すると、より幅広い捉え方が出来るのではないでしょうか? 

*なお、この文章の意図は彼女の功績を何らおとしめるものではないことを、重ねて補足しておきます。

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